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[実車資料] 京急1000形

[アイコン] 京急1000形(非冷房車) [アイコン] 京急1000形(分散冷房車:白幕) [アイコン] 京急1000形(分散冷房車:黒幕) [アイコン] 京急1000形(集中冷房車:白幕) [アイコン] 京急1000形(集中冷房車:黒幕) [アイコン] 北総7150形 [アイコン] 千葉急行1000形 [アイコン] 京成1000形 (自作品)

Wikipediaより
(一部編集)


概要

本形式は東京都交通局(都営地下鉄)1号線(現:浅草線)乗り入れ用として計画され、乗り入れ開始に先立つ1959年に製造を開始、1978年(昭和53年)までの19年間で旧デハ800形・850形からの編入車を含めて356輌が製造された。
製造期間と使用期間が長期にわたるため、非常に多くのバリエーションが存在する。
1968年(昭和43年)までの製造車では車体製造社により台車が異なり、電装品の製造社により駆動方式、歯車比、電装構成が異なっていたが、1971年(昭和46年)以降の製造車ではこれらが製造社に関わらず統一されている。
全車電動車の2輌1ユニットで構成、M1系車に主制御器、M2系車に補器類を搭載する。編成構成の自由度が高いことを活用し、1970年代から2000年代に至るまで頻繁な編成替えで需要の変化に対応してきた。
1968年6月21日から都営1号線との相互乗り入れ開始以降長らく直通運用に使用され、都営浅草線・京成電鉄・北総鉄道北総線の各線にわたり広く運用されたが、2008年11月7日に乗り入れ運用を終了し、2008年(平成20年)現在は京急の各路線で使用されている。
運転台の有無や搭載機器に関わらず、356輌すべての車両形式が"デハ1000形"であるため、単一形式としては私鉄最多製造車輌である。
長期にわたって京急を代表する通勤車両として利用客や鉄道ファンから親しまれてきたが、経年による老朽化の進行に伴ない、新1000形などの省エネルギー車による置き換えが進んでいる。非冷房で落成した車両はすでに全車廃車され、2008年時点では冷房付きで落成した後期車の廃車が進行している。
特記のない限り以下の文中では各種文献に倣い、京急本線上で南側を「浦賀寄り」または「浦賀方」、北側を「品川寄り」または「品川方」、東側を「海側」、西側を「山側」と呼ぶ。編成番号は浦賀方先頭車の車輌番号で代表する。

外観

全長18m、幅1,200mmの片開き3ドア、ドア間窓3枚、車端部窓2枚、運転台後部窓1枚。
初期の車輌は前面非貫通型で登場したが、1961年(昭和36年)からは構造基準改定に対応して前面貫通型に、1963年(昭和38年)からは方向幕などが独立した窓に収められた形態に変更された。非貫通型と初期の貫通型も後に貫通型・独立方向幕窓に改造されている。客用窓は2段上昇式とされ、当初は全開することが可能だったため保護棒が取り付けられていたが、同様に構造基準改定により下段窓の上昇幅が150mmに制限されたため、これに対応して下段窓の上昇幅を一部を除いて90mmとし、保護棒は撤去された。冷房車の下段窓は当初固定式だったが、1977年(昭和52年)以降の製造車は非冷房車同様に上昇式とされ、既存車ものちに同様に改造された。戸袋窓はHゴム支持の固定式である。奇数番号車のドアは品川方に向かって開き、偶数番号車はこの逆に開く。M1車系に主制御器、パンタグラフ、M2車系に補器を搭載している。

集電装置

東洋製PT-43系菱形パンタグラフをM1系車に搭載。Aグループ(登場時)とB・CグループのM1U車は浦賀寄り、それ以外の車輌は品川寄りに設置。

空調装置

Fグループ:屋上集中式(能力36,000kcal/h、製造時は三菱CU-71系または日立製作所FTUR-550-206/209系、後に東芝RPU-11009も搭載)を1基。
B~Eグループ冷房改造車:集約分散式(能力8,500kcal/h、東芝RPU-2209系)を4基。

製造年式およびその差違

本形式では、製造年やその設計変更により鉄道雑誌などでは下記の6グループに分けられるが、公式なものではない。A~Eグループの電装品は東洋と三菱が独自に設計したものが使用され、それぞれを混成してユニットを組むことができない。駆動方式も異なっている。また、車体製造社が設計した独自の台車(東急製:TS310系、川崎製:OK-18系)を装着し、原則として東急製の車両には東洋製電装品、川崎製の車両には三菱製電装品が装備されたが、一部に川崎+東洋の組み合わせが存在した。各製造時で東急製と川崎製の比率がほぼ1:1となるよう製造されたため、両社製が混在する編成や、1編成内に2種類の電装品を持つものも存在した。
製造が長期にわたるため、並行して行われた改造工事なども併せてまとめる。

Aグループ
1958年に本形式の試作車としてデハ800形・デハ850形の車輌形式で4輌が製造された。編成構成は浦賀寄りにデハ800形、品川寄りにデハ850形を連結した2輌編成でデハ800形の運転台側にパンタグラフを搭載した。製造当初は当時の流行に倣い、前面が700形(初代)などのように非貫通・2枚窓のいわゆる湘南電車スタイル、600形(初代)全金車とほぼ同形の車体だが、ドア幅が1,200mmに拡張されている。ドア配置がやや運転台寄の前後非対称で、主要機器、性能は700形(初代)と同一。車体幅が量産車に比べて80mm狭く、貫通路幅がBグループ以降の1,100mmより狭い1,000mmとなっていた。
製造時は700形(初代)と同一の補償巻線無し東洋電機製造製TDK-810A主電動機を搭載していたが、1958年末には東洋製補償巻線付きTDK810/3-Eを搭載し、翌年1月に公開試験を実施した。1963年には回生ブレーキの試験に使用されるなど、各種試験のテストベッドとなった。
この4両は1965年(昭和40年)10月に1000形(デハ1095~デハ1098)に改番し、1966年(昭和41年)には主電動機を交換、量産車と性能を揃えた。1968年に前照灯のシールドビーム化と正面に行先・種別表示器、側面に種別表示器を設置、1973年(昭和48年)には都営1号線への乗り入れに備えるために前面に貫通ドアを設置、内装の張り替え、列車無線アンテナ搭載に伴なうパンタグラフ位置の品川方への変更、貫通路幅の拡大及び妻面窓の外側への移設、運転台拡張に伴なう運転台直後の窓の連結面側へ100mm移動、内装の全面的張替え、換気装置の首振り扇風機化などの工事が行われた。
このグループは冷房改造されずに1988年(昭和63年)に廃車となり、機器がデハ1095とデハ1096の部品はデト11・12へ、デハ1097とデハ1098の部品はデチ15・16へそれぞれ転用された。

Bグループ
1959年から1960年(昭和35年)にかけて製造されたデハ1001~デハ1048の4輌編成12本が該当する。車体幅が80mm拡大されて2,780mm(最大幅2,798mm)となり、連結面後退角の縮小によりドア配置が前後対称となった。製造当初より前照灯はシールドビームである。800形による試験結果から、主電動機を低回転、補償巻線付き仕様に変更した。2輌1ユニットを背中合わせに組み合わせたM2U-M1U-M1S-M2Sの編成を組み、両先頭車がM2系車とされたため、2輌編成とする事が出来ない。
Aグループと同様に非貫通・2枚窓で製造されたが、1969年(昭和44年)から1972年(昭和47年)にかけて朝ラッシュ時の10輌編成運転拡大による2輌編成の需要増加に対応するため、D・Eグループ6両編成を2輌編成化して中間車をBグループに組み込み、Bグループ先頭車を正面貫通ドア付きに改造した上、6輌編成化して地下鉄乗り入れ運用に充当する工事が行われた。先頭部形状は当時製造されていたEグループと同様とされたが、アンチクライマ最下段が半分切り欠かれたものとなっていた。この工事に合わせ、室内電装系の交流電源化、ファンデリアの撤去と首振り扇風機化、客室蛍光灯カバーの撤去、側面種別表示器の設置が行われた。初期に改造された4編成は種別表示器が他車よりも低い位置にあった。屋上のモニタールーフは撤去され、Eグループと同様に狭幅のFRP製カバーが設置された。また、最後に改造された4編成は内装の張り替えも行われ、この4編成のみ久里浜工場の更新銘板が取り付けられていた。
その後1979年(昭和54年)から1984年(昭和59年)にかけて冷房改造が施工された。本グループでは1001編成を除く三菱製電装車は冷房改造に際して主抵抗器を車両中央部から海側に移設している。
1017編成は台車の枕ばねに空気ばねを試験採用(東急TS313形・川車OK-22形)しており、空気ばね採用による空気使用量増加のため、空気圧縮機がBグループ他車のA-2形に対しA-3形を搭載していた。後にDグループ以降と同じAR-2形に載せ換えられている。
1988年から廃車が始まり、一部は高松琴平電気鉄道(12輌)と北総開発鉄道(現:北総鉄道、1962年製の12輌を含む16輌)に譲渡されたが、後者はすでに廃車となった。京成電鉄にも8輌がリースされ、後に4輌が返却・廃車され、残りの4輌が千葉急行電鉄(現:京成千原線)へも再リースされたが、これもすでに廃車となった。

Cグループ
1961年(昭和36年)から1962年(昭和37年)にかけて製造されたデハ1049~デハ1068の4輌編成5本・デハ1069~デハ1078の2輌編成5本・デハ1101~デハ1130の6輌編成5本が該当する。これらは落成当初から前面に貫通ドアを設けているが、方向幕窓などが設けられていなかったため、前面のスタイルは次項のDグループで確立されたものとは異なっていた。
1961年製造車は4輌編成・2輌編成各5本で、製造当初行先・種別表示器がなかった。1966年から1967年(昭和42年)にかけて正面窓内側上部に行先・種別表示器、側面に種別表示器を設置した。4輌編成はBグループと同様の「背中合わせ」ユニット、2輌編成では本形式量産車で初めてM1系の先頭車が製造された。
1962年製のデハ1101~デハ1130(C2グループ)の6輌編成5本は2輌単位で組み替えできるように浦賀方先頭車が主制御器搭載のM1系とされ、M2系の中間車が初めて製造された。製造当初から正面窓内に明朝体フォントの行先・種別表示器、側面にはネオン管式種別表示器を設けた。ネオン管式種別表示器は視認性が悪く、故障が多かったことから、後にゴシック体幕式に改造された。このグループは京急で初めての6輌固定編成である。本グループまで空気圧縮機にレシプロ式A-2形を採用した。
Bグループの前面貫通化工事に続いて、1974年(昭和49年)から1976年(昭和51年)にかけて本グループの更新工事が行われた。当時すでに新造車が冷房装備となっていたこと、600形(2代)で冷房改造の実績があったことから冷房化の構想もあったが、軸重増加により地下鉄乗り入れが不可能となる問題が当時解決できていなかったことなどにより、冷房搭載は見送られた。前面の行先・種別表示器をDグループ以降と同様正面窓内から独立させ、併せて側面にゴシック体行先・種別表示幕を設置、換気装置はファンデリアを撤去してラインデリアとした。屋上モニタールーフは残されたが、更新前の2段式から3段式に交換されている。
このグループには1983年(昭和58年)から1986年にかけて冷房改造が施工されたが、デハ1049~デハ1052の4輌は冷房改造されずに同年に本形式として初の廃車となった。三菱製電装車は全編成冷房改造に際して主抵抗器を車両中央部から海側に移設している。このグループの冷房改造時のみ中間車連結面の雨樋縦管が露出したままとされている。
1991年(平成3年)から冷房改造車の廃車が始まり、1071編成以外は1996年(平成8年)までに廃車された。1071編成はAグループ以外では唯一廃車まで編成替えされず終始2連で使用されたため走行距離が少なく、44年にわたって運用された後2005年(平成17年)3月末に廃車され、Cグループは消滅した。
1107編成と1113編成は廃車直前に品川方2輌を交換した。この2編成は本形式で唯一浦賀方先頭車と品川方先頭車の組み合わせが変更された例であり、このままの編成でBグループの1005編成と北総開発鉄道に譲渡された。
デハ1125には更新工事施行時に架線観測用の「潜望鏡」が設置され、冷房改造時以降は架線観測装置となっていた。その後、1500形のデハ1601を経て、2008年現在は600形デハ605-1に設置している。

Dグループ
1964年(昭和39年)から1966年にかけて製造されたデハ1131~デハ1196デハ1201~デハ1206の6輌編成12本が該当する。このグループから前面の行先・種別表示器が窓内から独立して現行の本形式の前面スタイルが確立した。連結面が折り妻となり、妻部屋根肩も小さくなった。客室内電装品が交流化され、客室内蛍光灯カバーは省略された。側面に電動式種別幕が設けられたが、前面の種別幕は手動とされた。側面種別幕は表示可能コマ数の制約により「普通」が表示されず、普通列車運用時は表示なし、バックライト消灯となっていた。空気圧縮機はロータリー式のAR-2形に変更した。東急車輛製造で1964年に製造された1143編成と1201編成のみ先頭車前面の行先・種別表示器部分の造型が他車とはわずかに異なっていた。
冷房改造は、Eグループと並行して1976年から1982年(昭和57年)にかけて施工された。
デハ1173とデハ1178は1988年から貨車扱いとされ、2002年(平成14年)に廃車された。

Eグループ
1968年に製造されたデハ1207~デハ1242の6輌編成6本が該当する。このグループから地下鉄乗り入れに備えて当初から先頭部連結器がNCB-II形密着自動連結器化され、1号型ATS、列車無線を装備、3輌+3輌に仕切れるよう4号車浦賀方に中間貫通ドアを設けたほか、運転台の機器は当初から乗り入れ仕様に合致して配置されている。モニタールーフが廃止され、狭幅のFRPのカバーを設置、換気装置をファンデリアから首振り扇風機に変更、連結面後退角のさらなる縮小、座席形状の変更など、同時期製造の700形の要素を盛り込んだものとなった。
冷房改造は、Dグループと並行して1976年から1982年にかけて施工された。
このグループで最後まで残ったデハ1219-デハ1220-デハ1223-デハ1224は、Cグループ・デハ1071・デハ1072と同時期の2005年3月をもって運用を離脱した。
このグループまでの本形式は、更新後のFグループとは異なり表示幕が白地に黒文字だったため、最終期には一部の鉄道ファンから「白幕車」と呼ばれていた。この幕は2008年現行の英文字併記のものとは異なり、日本語のみ、種別・運行番号表示器も白地だった。

Fグループ
1971年から1978年にかけて製造されたデハ1079~デハ1080(2代目)の2輌編成1本、デハ1301~デハ1348の4輌編成12本、デハ1351~デハ1380の6輌編成5本、デハ1243~デハ1298の8輌編成7本が該当するが、番号通りの編成で落成しなかった車輌も少なくない。このグループは集中式冷房装置を搭載、京急初の新製冷房車となった。冷房化により自重が増加したため、主電動機の熱容量を向上し、併せて定格回転数を従来の1,550rpmから1,450rpmに変更した。1971年・1972年製デハ1251~デハ1290は主電動機出力75kWだったが、走行特性は従来車と揃えたまま1974年製以降は主電動機定格電流を225Aから270Aに上げ、90kWに出力増強された。台車は川崎重工業設計の車体直結空気ばね式とされ、同社と東急車輛の両者で同一の台車を製造した。モーターは東洋、制御装置と補助電源装置は三菱製でそれぞれ統一された。その他、車内は乗務員室と客室の仕切りドアがステンレス製から軽合金製となった。1973年は12輌編成運転開始に備えた設備増強に注力したこと、1975年(昭和50年)は前年7月の久里浜地区水害で損傷した車両の復旧工事を優先させたため、車両の新製がなかった。増備の過程で、広告枠の増設、先頭部の雨樋形状の変更など、細部の変更が行なわれた。
1974年までに製造された68輌は当初都営1号線の軸重制限を超過していたため他社局線には入線できなかったが、後に軽量車輪への交換によって入線できるようになった。また、1987年(昭和62年)までは地下鉄線内では冷房を使用しなかったため、窓に地下鉄線内では冷房を使用しない旨の注意ステッカーが貼付されていた。
車輌番号は必ずしも製造順ではなく、デハ1079・デハ1080(2代目)は1978年製、最終製造車輌も同年製のデハ1243~デハ1250である。
1976年までの製造車は手動式方向幕、側面は種別幕のみだったが、同年製造車の中間車となったデハ1338、デハ1339を除いて1977年(昭和52年)以降製造の車両にはCグループの更新で設けられたものと同じ電動方向幕が正面および側面に設置された。デハ1079~デハ1080、デハ1243~デハ1250、デハ1341~デハ1348、デハ1351~デハ1380がこれに該当する。1980年代中期の1341編成と1375編成など、編成替えにより側面方向幕設置編成に側面種別幕のみ設置の中間車が組み込まれた例もあった。
デハ1337には積算電力計が設けられていた。電力計測時にはこの車輌を中間に入れる必要があり、6輌編成での地下鉄乗り入れに備えて1970年代後半から1980年代にかけてデハ1332とデハ1080の品川方に貫通幌が取り付けられていた。
このFグループは、グループ内であれば更新工事施工前の側面電動方向幕有無による制約を除いて編成替えの制約がなく、かつまとまった輌数があったため登場以降需給調整のため頻繁に編成替えが行われ、B・D・Eグループが冷房改造を機に番号どおりの編成に戻ったのとは逆に全編成が番号通りの編成だった時期は一度もない。唯一1990年頃にデハ1243~デハ1298、デハ1301~デハ1348の全編成が番号通りの編成になったことがあるが、この時もデハ1351~デハ1380は8輌編成3本、4輌編成1本、2輌編成1本の組成であった。

冷房改造

1976年(昭和51年)から非冷房で製造された車輌を対象に冷房改造工事が行なわれた。冷房装置は東芝RPU-2209系が採用され、1両につき4台が設置された。内装も全面的に張り替えられ、Fグループと同様に極力無塗装化が図られた。冷房改造前に腐食対策として雨樋縦管を露出させる改造が施されていたが、これを耐食管とすることで本改造時に再び埋め込んだ。天井部は平天井構造となったが、パンタグラフ下部を除きダクトは設けられていない。電動発電機は容量75kVAのものに交換され、1台で2輌に給電する。方向幕は電動化されたが、側面方向幕は奇数車海側、偶数車山側のみに設置され、初期の改造車は種別幕のみで残った奇数車山側、偶数車海側に冷房改造前と同様「普通」が表示されなかったが、1983年(昭和58年)頃の改造車から「普通」が表示されるようになり、それ以前の車両も同様に改造された。Bグループで側面種別幕位置が低かった編成は冷房改造時に他車と同位置に改造されている。冷房改造前から全車側面に方向幕を持つCグループはそのまま全車設置とされた。OK-18系台車は重量増加に対応して台車枠の補強が行なわれ、1977年(昭和52年)に台車枠だけをOK-18Mとして4輌分製造している。OK-18系台車装備車で初の冷房改造車となった1137編成は冷房機本体を搭載せずに出場し、2週間程度後に冷房機を搭載している。
初の冷房改造車である1179編成は、改造当初冷房装置のキセ(カバー)がイボ付きビニールでコーティングされた鋼製の黒いタイプであり、その外観から一部で「装甲冷房車」と呼ばれていたが、1981年(昭和56年)9月に他編成と同じFRP製の白いキセに取り替えられた。改造は長期にわたったが、期間中大きな設計変更は行われず、末期に連結器交換準備工事が併施されたことによる変更がある程度である。
冷房改造は番号通りの編成単位で行われ、改造後は番号通りの編成に戻る例がほとんどだったが、例外として1976年施工の1143編成と1977年施工の1149編成は中間車を入れ替えて出場、後に番号通りの編成に戻った。1137編成と1173編成は冷房改造時に3号車・4号車を交換し、そのまま1987年の編成替えまで運用された。1982年(昭和57年)施工のデハ1187-デハ1188は1029編成に挟まれて出場、4ヶ月後に1185編成が出場された際に番号通りの編成に戻った。Cグループ初の冷房改造車で1983年7月に出場したデハ1121~デハ1122は同時期に検査入場していた1009編成に挟まれて出場、1119編成が冷房改造された後も3年程度この編成のまま運用された。デハ1115~デハ1116は1113編成と同時に施工されたが、先頭車の密着連結器化準備工事の影響により、当初の1ヶ月は1037編成に含まれ、その後続いて冷房改造された1075編成に含まれて運用されたが、その後1ヶ月程度で番号通りの編成に戻っている。
全車冷房改造完了を目前にして廃車が始まり、1049・1095・1097の各編成には冷房改造が施工されなかった。

Fグループ更新工事

B~Eグループと700形冷房改造に続いて、1988年から1994年(平成6年)にかけてFグループの更新工事が施工された。主な内容は以下の通りである。

屋上通風器の撤去。
屋根の補修。
連結器部分の小改造。
行先表示器制御のSPC方式への改造と白色幕から黒色幕への変更、手動幕車への電動幕の設置、側面方向幕未設置車への方向幕の設置。
1992年以降更新車輌について抵抗器の配列を変更し、中央ドア直下に発熱量が少ない部分を再配置。
戸閉灯器をLED表示灯に交換。その後LEDの故障などでデハ1309~デハ1312は電球2灯にされた。
一部の編成に戸閉選択装置を取り付け。
1251・1259・1309編成は1990年代初頭の連結器交換前に更新されたので、品川寄りにジャンパ栓の跡が残る。

内装は全面的に張り替えられたが、配色・レイアウトはほとんど変更されていない。
更新前の表示幕は白地であったが、更新工事により黒地に変更されたため、鉄道ファンに「黒幕車」と呼ばれている。

OK-18台車のTS-310台車へ振り替え

川崎車輛で製造され、東洋製電装品を装備するデハ1029・デハ1030・デハ1041・デハ1042・デハ1059・デハ1071・デハ1072・デハ1077・デハ1078・デハ1097・デハ1098・デハ1115には中空軸撓み板式軸型継手駆動用のOK-18台車(OK-18C・G・I・K)が装備されていたが、これを1977年・1978年にTS-310系台車と交換した。


中間車貫通仕切りドアの設置

Eグループ以降の6輌編成4号車と8輌編成4・6号車の浦賀方には両開きの貫通仕切りドアを設置されており、1970年にC・Dグループ6輌編成にも同様に貫通仕切りドアが設置されたが、連結面後退角が大きいため、ドアのレールが「へ」の字型になっていた。1981年(昭和56年)以降Fグループで編成替えにより6輌・8輌編成となっていたデハ1262・デハ1302・デハ1310・デハ1314・デハ1322・デハ1334・デハ1342・デハ1346・デハ1352に貫通仕切りドアが設置された。改造車の外側窓は2段式アルミサッシのままとされたが、C・Dグループは冷房改造時に、Fグループは更新改造時にHゴム1枚窓に改造されている。Cグループの妻面は大きなRで構成されていたため、該当窓取り付け部が平面に改造され、周囲の外板と段差があった。Fグループ更新時に貫通仕切りドアがない4輌編成の3号車に組成されるデハ1327・デハ1319・デハ1307・デハ1335・デハ1339の浦賀方にも貫通仕切りドアが設置された。

改番

京急では1966年(昭和41年)の番号整理以降ほとんど改番が行われた例がないが、本形式では過去に下記の3例がある。
1964年(昭和39年)製のデハ1201とデハ1206は初代デハ1079・デハ1080である。翌1965年(昭和40年)3月に製造されたデハ1174~デハ1177を挟んで6連化され、さらに同年11月に中間車を新製されたデハ1202~デハ1205に交換、その後デハ1079とデハ1080は1968年(昭和43年)にデハ1201とデハ1206に改番された。
1971年(昭和46年)製の18両(デハ1251~デハ1266・デハ1267・デハ1274)は当初6連で計画され、デハ1251~デハ1268として落成したが、都営1号線への乗り入れが軸重増加により認められなかったため、8連2本と2連1本に組み替えられて入線し、翌1972年(昭和47年)に2連に中間車6輌を挟んで8連化され、デハ1251~デハ1274(8連3本)に改番された。
1978年に登場した2代目デハ1079・デハ1080は、新1000形の増備進捗に伴ない番号重複を避けるためデハ1381とデハ1382へ改番され、車内銘板がステッカー式となった。京急の現有車輌で改番された履歴を持つのはこの2輌と800形811~825編成の品川方先頭車15輌のみである。

運用

2輌編成
2輌編成は登場以降終始増結用として使用され、1970年代初期の比較的短期間、朝ラッシュ時に浦賀~堀ノ内間を2輌編成で運転、堀ノ内~品川間は久里浜以南からの特急に連結される運用が存在した以外、2輌編成単独で営業運転された実績がほとんどない。12輌編成運転開始直前の1974年(昭和49年)10月に最大の21本に達したが、その後1988年(昭和63年)秋に都営浅草線乗り入れ特急が終日8輌編成化されるまで15本程度で推移、A・Cグループ廃車以降は2編成が残るのみとなり、朝夕は8輌編成に2本連結し12連で、昼間時は2輌編成同士を2本つなげた4連で運用されることが多かった。まれに4輌編成と連結して6連(また6輌編成と連結して8連)として京急川崎以南の普通などに使用されることもあったが、2008年7月の編成替えで消滅した。1987年(昭和62年)の乗り入れ特急8輌編成運転拡大の直前まで約1年間乗り入れ特急の浦賀方に品川で2輌増結する車輌の送り込みのため2輌編成5本をまとめて回送する列車が存在した。

4輌編成
4輌編成は登場後各種別に運用されたが、12輌編成運転開始直前の1974年(昭和49年)10月頃には4連運用を400形・500形・700形に譲り、新製されたばかりの1325編成のみが4連だったことが特筆される。12輌編成運転開始以降は大師・空港以外の各線の普通や朝・夕方・夜間の優等列車の増結用として幅広く運用された。また、終夜運転の際に都営浅草線を経由して京成金町まで乗り入れた実績がある。700形の廃車進行により2000年(平成12年)から本形式も大師線で運用されるようになり、当初は朝のみの運用だったが、その後700形の全廃に伴なって2005年11月からは1500形や新1000形とともに(終日)同線の運用に就いている。

6輌編成
6輌編成は登場後、都営浅草線乗り入れ特急用の主力として1968年(昭和43年)以降25~30本が存在し、長らく主力として運用されたが、1988年(昭和63年)秋の都心乗り入れ特急の終日8連化に伴って編成数を大幅に減らした。2000年代に入ってからは800形や1500形とともに本線の普通を中心に運用しているが、朝・夕方・夜間には羽田空港へ乗り入れる運用もある。2008年(平成20年)末の終夜運転までは都営浅草線を経由して京成線京成高砂まで乗り入れていた。ホームの有効長が4輌分しかない梅屋敷駅で編成中2輌のドアを自動的に締め切ることができるADL(自動ドアロック)装置を全編成に搭載しており、同様にドアを締め切る浦賀方2輌のドアには同駅でドアが開かないことを知らせるステッカーを貼付している。
1975年(昭和50年)7月には1009・1013・1021の各編成がサハ770形2両を3・4号車に含む6輌編成となったが、1021編成以外はすぐに中間車2輌を追加した8輌編成とされた。

8輌編成
8輌編成は登場以降1978年(昭和53年)まで都営浅草線への乗り入れが最大6輌編成に制限されていたことから朝ラッシュ時の12輌編成非乗り入れ特急の基本編成、快速特急の主力として活用され、2000形登場まで夏季定員制列車「ミュージックトレイン号」にも使用された。1978年に8輌編成の地下鉄乗り入れが開始されたが、1987年(昭和62年)までは朝夕各6往復に限定されており、引き続き朝ラッシュ時の通勤快特、日中から夕方の快速特急を中心に運用された。1987年から朝夕ラッシュ時の乗り入れ特急が8輌編成化され、2000形の増備も進行したため8輌編成は都心乗り入れ運用を中心に運用されるようになった。この時点では全編成を固定編成とすると日中運用する6輌編成が不足するため、2+6輌編成を貫通幌でつなぎ、「8輌固定編成」として都営地下鉄乗り入れに充当、日中は2輌編成を切り離した6輌で運用する編成が組成された。2+6輌編成には編成表上にも2+6輌の8輌編成として記載され、8輌編成と同様に運用されたものと、それぞれ別の編成として記載され、組み合わせが毎日変更されるものの2種が存在した。同時に4+4輌編成を貫通幌でつなぐ編成も出現したが、こちらは全編成4+4輌の8輌編成として編成表に記載されていた。その後1988年(昭和63年)秋に都心乗り入れ特急が終日8連化され、翌1989年(平成元年)から1500形の都心乗り入れ運用への充当が始まったため2+6輌編成は消滅、4+4輌編成は廃車の進行に伴なって一旦消滅した。2001年(平成13年)9月15日のダイヤ改正から日中の都営浅草線直通快特の最高速度が120km/hに引き上げられたが、本形式は120km/h対応の増圧ブレーキ装備工事対象とはならなかったため、これ以降日中の快特には運用されなくなった。最終期の日中は定期旅客営業運転がなく、平日朝夕・夜間限定運用となっていた。1988年秋の最盛期には4+4輌編成を除いても21編成が存在した8輌編成は2008年8月に1351編成の中間車を2008年7月に1329編成と1381編成に移動させたことで中間に先頭車を含まない貫通編成が消滅、その後同年11月まで1351編成と1381編成が4+4輌編成を組み、8輌編成として運用されていたが、新1000形1097編成の導入に伴なって分割され、8輌編成が消滅した。
1975年(昭和50年)9月から1979年(昭和54年)6月にかけてサハ770形を5・6号車に含む8輌編成が存在し、ラッシュ時を中心に運用された。

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京成1000形(千葉急行1000形)

デハ1029~1032(4輌編成)・デハ1037~1040(4輌編成)の8輌が京急の子会社である京急車両工業(現:京急ファインテック)を通じてリースされた。これは京成の冷房化率が大手私鉄の中で低く、早急に冷房化率を上げるためにとられた施策であるといわれている。最後の青電であった210形が全廃された直後の1988年(昭和63年)から4輌編成2本が常に8連固定で使用された。ほとんど改造されずに使用されたが、主な改造点は以下の通りである。

● 車輌形式称号を"モハ1000形"に変更。
● 塗装は赤い車体に白帯のまま。
● アンチクライマーの一部切除(京成線内で適合しない部分が出たため)。
● 車体側面の社名表示を"KHK"から"Keisei"に交換。
● 表示幕のうち種別・行先は京急1000形用のサイズで京成用の色(紺色地に白字)・書体・表示内容のものを新設して交換。運行番号はそのまま流用可能なため、白幕のままだった。
● 運転室に京成式の停車予告装置を設置。
● 京成3500形未更新車などで見られる種別板差しが先頭車前面の貫通ドア下部に設置。これは京成時代の途中同部分に窓を設置して種別板差しを室内側に移設し、室内側から種別板が差し替えられるように改造している。
● 中吊り広告枠を京急サイズから京成サイズのものに交換。

京成3700形の増備に伴ない1991年(平成3年)に1編成(モハ1037~1040)を返却して除籍・解体し、残る1編成(モハ1029~1032)は塗装を青に白帯に、社名表示も"千葉急行"に変更の上、翌1992年に千葉急行電鉄へ貸し出し、同社唯一の保有車として京成の4連普通運用と共通で使用されたが、京成3050形と交替して1994年(平成6年)に返却・除籍となり、久里浜工場にて解体された。

北総7150形

1991年(平成3年)3月31日の高砂-新鎌ヶ谷間開業に伴ない、7300形の登場とあわせてデハ1005~1008(4輌編成)・デハ1107~1118(6輌編成2本)の16輌(→北総7151~7158・7161~7168)が譲渡された。

[車番対応表:(左)北総、(右)京急]

(↑千葉NT中央)

7151:1118
7152:1117
7153:1108
7154:1107

7155:1008
7156:1007
7157:1006
7158:1005

7161:1112
7162:1111
7163:1116
7164:1115
7165:1110
7166:1109
7167:1114
7168:1113

この2編成は京急時代末期に変則的な編成を組んでいたが、そのままの編成で譲渡された。7151~7158は当初4+4の8輌編成、7161~7168は8輌貫通編成で、譲渡時に全車ドア横の広告枠を撤去した。このうち7151~7158は後に京急久里浜工場で検査実施の際に客用ドア外部に異なる塗装を試験採用したが、検査コストが増加したため、他車には採用されなかった。7151~7158は1992年(平成4年)7月の新京成電鉄との直通運転廃止に伴ない、新鎌ヶ谷-千葉ニュータウン中央間の区間列車用として7151~7154と7155~7158の4連2本に分割し、原則として(当時の)北総・公団線内の区間運用に使用されたが、7050形への置き換えに伴ない、7161~7168は1995年(平成7年)9月に、7151~7158は1998年(平成10年)2月にそれぞれ廃車され、京成の宗吾車両基地で解体された。

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欠番

京急(旧)1000形の内、以下の番号の車輌は製造されていません。

1081~1094・1099・1100・1197~1200・1299・1300・1349・1350

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